お雑煮のお餅の違いと西日本・東日本
なぜ「東は角餅」「西は丸餅」なのか? お雑煮に隠された日本文化の深層
正月に欠かせない料理といえば、やはり「お雑煮」でしょう。元日、湯気の立つ椀を囲みながら新年を迎える光景は、多くの日本人にとって原風景ともいえるものです。しかし、ひと口にお雑煮といっても、その姿は驚くほど多様です。使う餅の形、汁の味、具材――実は日本全国、地域ごと、さらには家庭ごとに異なる文化が息づいています。
中でもよく知られているのが、「東日本は角餅、西日本は丸餅」という違いです。このシンプルな区分の裏側には、日本の歴史、地理、気候、そして人々の暮らし方が深く関わっています。本記事では、お雑煮の起源から餅の形の違い、さらには焼く・煮るという調理法の差まで、雑煮文化の奥深さをひも解いていきます。
お雑煮の歴史と由来
お雑煮の起源は室町時代にさかのぼるとされています。当初は正月料理というより、武家の宴席で出される酒肴の一つでした。「雑煮」という名称は、「さまざまな食材を雑多に煮た料理」に由来しています。
正月料理としての雑煮は、大晦日に神前に供えた餅や米、野菜、魚などを元旦に下げ、一つの鍋で煮て食したことが始まりだといわれています。神さまに供えたものを家族で分かち合う行為は、新しい年の加護を体に取り込むという意味合いもありました。
江戸時代に入ると、この風習は庶民の間にも広まり、正月三が日に雑煮を食べる習慣が全国に定着します。江戸後期の風俗を記した『守貞漫稿』には、大阪では丸餅、江戸では切餅(角餅)を焼いて食べていたことが記されており、現在につながる地域差がすでに存在していたことがわかります。
なぜ「東は角餅」「西は丸餅」なのか?
日本列島は大まかに
- 東:角餅
- 西:丸餅
という分布を示します。この境界は、地質学上の大断層である糸魚川静岡構造線付近と重なるケースが多く、自然環境と文化の境界が一致している点も興味深いところです。
そもそも、餅の原型は「丸餅」でした。正月に供える鏡餅が丸い形であることからも分かるように、丸は神聖な形とされ、「円満」「和」を象徴します。神さまの御魂(みたま)や古代の祭祀用具である鏡をかたどったものともいわれ、ハレの日の食べ物として非常に縁起の良い形でした。
つまり、本来は日本全国で丸餅が食べられていたのです。
武士文化と江戸っ子気質が生んだ角餅
では、なぜ東日本では角餅が主流になったのでしょうか。その背景には、関東特有の武士文化と江戸の都市生活があります。
江戸は武家社会の中心地でした。角餅の原型である「のし餅」は、ついた餅を平たく伸ばして作ります。この「のす」という行為が「敵をのす(討ちのめす)」に通じ、武士にとって縁起が良いとされたという説があります。
さらに、江戸の人口急増も大きな要因です。庶民の多くは杵や臼を持たず、年末になると「賃餅屋」と呼ばれる専門業者が町を回って餅をついていました。丸餅は一つひとつ手で丸める必要があり、手間も時間もかかります。そのため、餅屋は合理的にのし餅を作り、四角く切って販売しました。結果として、角餅が江戸で広く普及していったのです。
この効率重視のスタイルは、せっかちな江戸っ子気質をよく表しているともいえるでしょう。
気候が分けた丸餅と角餅
角餅が西日本に広まらなかった理由として、気候の違いも挙げられます。温暖で湿度の高い西日本では、切り口のある角餅はカビが生えやすく、保存に不向きでした。一方、丸餅は切り口がなく、比較的カビに強いという利点があります。
逆に、寒冷な東日本では、丸餅はひび割れやすく、保管が難しいとされました。そこで、麺棒でしっかりと伸ばして水分や空洞を押し出したのし餅が適していたのです。
自然条件と生活の知恵が、餅の形を東西で分けたともいえます。
例外地域に見る歴史の影響
山形県庄内地方で丸餅が主流なのは、北前船による上方文化の影響とされています。京や大坂から物資とともに食文化が運ばれた結果です。
高知県では、掛川から移封された藩主・山内氏の影響、鹿児島県では丸餅と角餅が併存する独自の食文化が育まれました。沖縄では、もともと雑煮を食べる習慣自体が希薄で、餅は主に仏事に用いられていたといいます。
こうした例外は、日本の食文化が単なる地理だけでなく、物流や藩政、宗教観によって形づくられてきたことを示しています。
焼くか、煮るか――もう一つの文化差
餅の形と並んで重要なのが、焼くか煮るかという調理法の違いです。
関東では、角餅を焼いてからすまし汁に入れるのが一般的です。焼くことで香ばしさが加わり、煮崩れもしにくくなります。一方、関西では丸餅を焼かずに煮るのが主流で、白味噌仕立てのまろやかな汁とよく合います。
出汁文化との相性も見逃せません。鰹節を中心とした力強い江戸の出汁には焼き餅が合い、昆布を生かしたやさしい関西の出汁には煮餅がなじむ――そんな先人の感覚が今も受け継がれているのです。
家庭ごとに受け継がれるお雑煮
興味深いのは、同じ地域でも家庭によって雑煮が異なることです。元日は白味噌、二日はすまし汁といった具合に日替わりで楽しむ家もあります。親の出身地や婚姻によって、複数の文化が一つの家庭で融合するケースも少なくありません。
角餅でも丸餅でも、焼いても煮ても、その家族にとっての「我が家の雑煮」がある。それこそが、日本の雑煮文化の豊かさといえるでしょう。
ちなみにここ香川県では、白味噌仕立ての汁にあんこ入りの丸餅(あんもち)を入れる「あんもち雑煮」が食べられてます。
おわりに
お雑煮は単なる正月料理ではなく、日本人の歴史や価値観、暮らしの知恵が凝縮された文化そのものです。東西の違いは優劣ではなく、それぞれの土地が育んできた必然の形。
新年の一椀に、そんな背景を思い浮かべながら箸を伸ばしてみると、いつものお雑煮が少し違って見えてくるかもしれません。角餅でも丸餅でも、これから先も家族の記憶とともに、温かく受け継がれていくことを願いたいものです。
◻︎◻︎出典:ウェザーニュース なぜ「東は角餅」「西は丸餅」なのか? お雑煮の秘密
https://weathernews.jp/s/topics/202212/260185/
農林水産省 地域で違う餅の形
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2001/spe2_02.html
【本日の一曲】
Daryl Hall & John Oates – I Can’t Go for That (No Can Do)