的外れさのデザイン──最適化の時代に“ズレ”を取り戻す
「的外れさのデザイン」と聞くと、いったい何のことだろうと思われるかもしれません。
しかし、私たちが生きる現代を少し俯瞰してみると、この“的外れ”という概念が、実は今こそ必要な要素ではないかと強く感じるのです。
■情報化と最適化がもたらした“便利さの呪い”
現在の社会は、言うまでもなく情報化が極限まで進んだ世界です。気になることがあれば数秒で検索し、レビューを見て、比較し、人気順に並び替え、評価の高いものから選ぶ──すべてがスムーズで、間違いがなく、効率的です。
ネット通販で商品を買うときもそうです。
おすすめ欄には「あなたにぴったり」「初心者はまずこちら」「ランキング1位」「この商品を買った人はこちらも買っています」。
ビッグデータが過去の膨大な行動履歴から「最適解」を弾き出し、こちらが探しているであろう答えを、驚くほどの精度で提示してくれます。
質問すれば答えが返ってくる。
その答えは、誰が聞いてもほぼ同じ。
情報が均質化され、答えがテンプレート化され、世界はどんどん“間違いのない方向”へと矯正されています。
一見すると、とても便利で優れた社会です。
しかし同時に、ある問題を孕んでもいるのではないでしょうか。
それは──
「偶然性の喪失」
そして
「的外れとの出会いの消滅」です。
■“的外れ”が世界を面白くしてきた
かつての買い物はもっと雑でした。
本屋に行けば目的の本の隣に置かれていた別の本が気になって買ってしまう。
服屋に行けば、最初に探していたものとは全く違うジャンルの服に惹かれてしまう。
行きつけの飲食店で、店主に「これ絶対あなた好きでしょ」とすすめられて頼んだら意外にもハマってしまった──。
これらはすべて、“的外れな出会い”です。
望んでいない情報との遭遇。
期待していなかった選択肢の登場。
思いもよらないものとの偶然の接触。
人が世界を広げ、価値観を変え、人生の流れを変えるのは、往々にしてこうした“ズレ”との出会いです。
ところが、最適化された現代では、この「的外れ」が徹底的に排除されてしまいました。
検索すれば、求めたものだけがピンポイントで返ってくる。
動画アプリを開けば、あなたの好みに合わせて調整されたものだけが流れてくる。
ネットショッピングでは、あなたの予算・好み・履歴から“完璧に最適化された商品”が並びます。
まるで、目の前に敷かれたレールの上を、きれいに、整然と歩かされているような感覚。
とても効率的。
でも、どこかつまらない。
均質化した情報は安心感をくれますが、驚きは奪います。
的外れとの出会いはリスクを伴いますが、世界を広げる力を持っています。
だからこそ、今の時代には意図的に“的外れさ”が必要なのです。
■「的外れ」をデザインするという発想
ここで言う“的外れ”は、決して適当な提案やズボラな仕事とは違います。
むしろその逆で、
「意図を持ってズラす」
「偶然性を計画する」
「期待を裏切る体験を組み込む」
という、極めて繊細なクリエイティブ行為です。
たとえば、こんなシーンを想像してください。
●不動産の提案における的外れ
お客様が「静かな郊外で、小さめの平屋がいい」と言ったとします。
普通なら、その条件に合致した物件だけを提案するでしょう。
でも、あえて
「条件とは少し違いますが、こんな暮らし方もありますよ」
と、都会のコンパクトマンションや、古民家再生物件、シェア型の住宅など、まったく別の選択肢を提案する。
すると、お客様は
「そんな暮らし方もあるのか」
「考えたこともなかったけど、意外と良いかも」
と、少し世界が広がります。
もちろん、的外れな提案が全部刺さるわけではありません。
時に「いやいや、全く違うよ」と言われることもあるでしょう。
でも、その“ズレ”によって生まれる思考の揺さぶりこそ、提案の価値ではないでしょうか。
完璧に条件を満たした選択肢だけを提示していたのでは、
お客様は“最適化された答え”の中から選ぶだけで、
自分の人生の可能性を広げる機会を失ってしまいます。
●買い物・旅・働き方にも“ズレ”のデザインを
旅に行くときも、最適化されたプランだけでは味気ない。
おすすめ名所をコンプリートするより、迷い込んだ裏路地の店で食べた一皿の方が忘れられなかったりします。
働き方でもそうです。
合理性だけで仕事を選べば、人生は効率的になりますが、どこか痩せてしまう。
的外れな出会いが、新しいキャリアを開くこともあります。
現代社会は、最適化・効率化・正解の提示、といった方向に全力で進んでいます。
だからこそ、人間だけが提供できる価値はますます
「的外れな提案」
「予想外の方向性」
「予定調和を崩すクリエイティブ」
に移行するのだと思います。
■「皆が同じ」に飽き始めている時代
今の時代、ふと気づくと──
みんな同じものを食べ、
みんな同じ服を着て、
みんな同じ動画を観て、
みんな同じ音楽を聴いています。
“正解”が共有され過ぎているのです。
その裏で、多くの人がうっすらと感じています。
「なんだかつまらない」
「もっと違うものに出会いたい」
「変なもの、的外れなものに触れたい」
と。
だからこそ、今この瞬間は、
“的外れさの復権”
のタイミングなのかもしれません。
■最適化社会に対する、新しいアンチテーゼとして
これからの時代、必要なのは
“正解の提示”だけではありません。
むしろ、的外れな選択肢を差し込み、偶然性を演出し、
人が「自分の世界の外側」に触れられる仕掛けをつくること。
それが「的外れさのデザイン」です。
偶然が世界を広げる。
意外性が価値をつくる。
ズレが人生を面白くする。
そんな時代に向けて、私自身も
「一見的外れに見える提案が、いちばん本質的な価値を生む」
そんな仕事や発信をしていきたいと思っています。
最適化されすぎた世界に、少しの“ズレ”を。
予定調和の中に、意図的な“違和感”を。
そこから新しい出会いと、新しい価値が生まれるはずです。
【本日の一曲】
NewJeans – Supernatural