2025 12 23

冬至  -光への折り返し地点-

――一年でいちばん夜が長い日から、光は少しずつ増えていく

12月22日、今年も冬至を迎えました。
一年のうちで、もっとも昼が短く、夜が長い日。カレンダーの上ではただの一日ですが、昔から冬至は特別な意味をもつ節目として、大切にされてきました。

春分・夏至・秋分・冬至。
これらは昼と夜の長さによって一年を四つに区切る「二至二分」と呼ばれる考え方で、自然とともに生きてきた人々の時間感覚が色濃く反映されています。

春分と秋分は昼と夜の長さがほぼ同じ。
夏至は昼が一年で最も長く、冬至はその反対で、夜が最も長い日です。

太陽を生命の源と考える思想は、世界中に共通して存在します。
そのため、日照時間が最も短くなる冬至は「衰退」や「終わり」であると同時に、「再生」や「始まり」の日でもありました。
この日を境に、太陽は再び力を取り戻し、少しずつ昼の時間が長くなっていく。
だからこそ冬至は、「新しい年の始まり」と考えられてきたのです。


収穫が終わり、静けさに包まれる季節

冬至の頃、自然界はとても静かです。
作物の収穫はほぼ終わり、木々の葉は落ち、動物たちは寒さを避けて姿を消します。
目に見える生命の躍動は、一旦、私たちの前から姿を消します。

現代の私たちは、電気や暖房に囲まれ、季節の変化をそれほど深刻に感じることはありません。
しかし、明かりも乏しく、夜が長く、寒さが命に直結していた時代にとって、冬はまさに「耐える季節」でした。

夜は魔物が出る時間とされ、不安や恐れの象徴でもありました。
そんな長い夜が、冬至を境に少しずつ短くなっていく。
それは、太陽が再びこの世界を照らし始めるという希望の合図だったのです。

ハロウィンもまた、秋の終わり、夜が長くなり始める時期に行われる行事です。
この世ならぬものが現れるとされる時期に、仮装や灯りで身を守る。
世界は違っても、人々の感覚にはどこか共通するものがあります。


冬至に縁起を担ぐということ

冬至の日に食べると良いとされるものの代表格といえば、やはり「かぼちゃ」でしょう。
しかし、実はこの風習が広く定着したのは明治以降といわれています。

かぼちゃが日本に伝わったのは16世紀。
ポルトガル船によって長崎にもたらされ、「唐茄子(とうなす)」や「南瓜(なんきん)」と呼ばれながら、庶民の食卓に広がっていきました。

では、なぜ冬至にかぼちゃを食べるのでしょうか。
そこには「縁起を担ぐ」という、日本らしい発想があります。

もともと冬至の日には、「ん=運」がつく食べ物を食べると良いとされていました。
れんこん、にんじん、ぎんなん、うどん……。
どれも寒い時期に体を温め、滋養を与えてくれる食べ物です。

かぼちゃも「なんきん」と読めば「ん」が二つ入ります。
保存がきき、色は黄金色。
栄養価も高く、冬を越すための力をくれる食べ物として、冬至の象徴になっていったのでしょう。


ゆず湯の本当の意味

冬至といえば、もうひとつ欠かせないのが「ゆず湯」です。
湯船にゆずを浮かべ、香りを楽しみながら体を温める。
今では多くの家庭で親しまれている風習です。

ゆずは冬でも葉を落とさない常緑樹で、寒い時期に実を結びます。
太陽のような黄色、爽やかな香り。
邪気を払い、生命力を象徴する植物として、古くから神事にも使われてきました。

しかし実は、ゆずそのもの以上に大切なのは「身を清める」という行為だった、という説もあります。
新しい年を迎えるにあたり、本来は水で身を清める「水垢離(みずごり)」を行うのが理想とされていました。

ただ、冬至の頃に冷水で身を清めるのは命がけです。
医療の発達していない時代、風邪は命に関わる病でした。
そこで、水ではなく湯に浸かる形へと変化し、やがて「ゆず湯」という風習になっていったのでしょう。

江戸時代の銭湯でのサービスが広まり、家庭に湯船が普及したことで、一般の暮らしに定着していきました。
地域によっては、ゆずを湯に入れるのではなく、冬至に食べるという風習も残っています。


冬至は「太陽が生まれ変わる日」

「冬至は一年の始まり」
そう聞くと、少し意外に感じるかもしれません。

しかし、冬至を過ぎた翌日から、昼の時間は確実に長くなっていきます。
ほんのわずかでも、光は増えていく。
この変化を、昔の人はとても敏感に感じ取っていました。

太陽が再び生まれ変わる日。
そう考えれば、冬至が祝われてきた理由も、自然と理解できます。

一年の終わりであり、始まり。
終わりと始まりが重なるこの曖昧な境目こそが、冬至の本質なのかもしれません。


冬至と夏至、太陽の動き

冬至と夏至は、太陽の高さが極端になる「至点」です。
北半球では、冬至は12月、夏至は6月。
南半球ではその逆になります。

地球の地軸は約23.4度傾いており、その傾きと公転運動によって、季節が生まれます。
冬至の日、北半球では太陽は一年で最も低い位置を通り、昼が短くなります。
夏至の日には、太陽は最も高く昇り、昼が長くなります。

この太陽の高さの変化が、私たちの暮らしや感覚、文化を形づくってきました。


日の出と日の入りの不思議

「昼が一番長い日=日の出が一番早く、日の入りが一番遅い」
そう思われがちですが、実はそうではありません。

日本では、日の出が最も早い日は夏至より少し前。
日の入りが最も遅い日は、夏至の少し後になります。
冬至も同様で、日の入りが最も早いのは冬至の前、日の出が最も遅いのは冬至の後です。

これは、太陽の動く速さが一年を通して一定ではないことや、地球の公転軌道が楕円であることが関係しています。
南中時刻(太陽が真南に来る時刻)も、実は毎日微妙にずれています。

こうした複雑な動きの結果として、私たちの感じる「季節」は、少しずつ、なだらかに移ろっていくのです。


夜がいちばん長い日から、光へ向かう

冬至は、暗さの極みであり、同時に光への折り返し地点です。
一番深い闇の底から、再び光へと向かう。
その感覚は、どこか人の人生にも重なるように思えます。

忙しさに追われ、先が見えなくなったとき。
すぐには変化を感じられなくても、確実に日はまた長くなっていく。
冬至は、そんなことを静かに教えてくれる日なのかもしれません。

今年も残りわずか。
冬至を越え、夏至へと向かう長い道のりが始まりました。
少しずつ増える光を感じながら、次の季節を迎える準備をしていきたいですね。

【本日の一曲】
Sun Ra – Sleeping Beauty