2026 01 03

穂高岳山荘100年の歩みと、山が人を惹きつける理由

3年前に100周年を迎えた「穂高岳山荘」からの、息をのむような美しい映像。
それを、四国・香川のあたたかい部屋の中から、コーヒー片手に眺められるというのは、なんとも贅沢な時間です。(なお、穂高岳山荘は冬季は営業していません。)
そして、私は登山家ではありません。(難易度が低い山に、年に1回程度登ります)
ただ、山のYouTubeを観るのが好きなだけです。

それでも、画面越しに伝わってくる空気の緊張感や、朝夕の光の美しさ、そして人の営みの痕跡には、なぜか強く心を惹きつけられます。
便利で快適な場所に身を置きながら、あえて最も過酷な場所の映像を観る。
その行為自体に、現代を生きる私たちの「何か」が表れているようにも感じます。


穂高岳山荘という場所

穂高岳山荘は、
標高日本第3位(3,190m)の奥穂高岳
標高日本第8位(3,110m)の涸沢岳
その二つの名峰に挟まれた「白出(しらだし)のコル」(標高2,996m)に位置しています。

ここは、岐阜県と長野県の県境。
表側、いわゆる玄関口となる涸沢側は長野県、
裏側の白出沢は岐阜県に属します。

地図で見ると一本の稜線上の点に過ぎませんが、実際には、日本屈指の厳しい自然環境に囲まれた場所です。
風、雪、岩、太陽、そして人間の限界。
そのすべてが凝縮された場所に、この山小屋は存在しています。


穂高岳山荘のはじまり ― 小屋が必要だと気づいた瞬間

穂高岳山荘の歴史は、大正時代にさかのぼります。

登山がようやく一部の人々の間で楽しまれ始めた頃。
初代主人・今田重太郎は、穂高連峰で山案内人として働いていました。

ある日、重太郎一行は穂高の稜線で嵐に遭遇し、やむなくビバークを余儀なくされます。
身を守るものは乏しく、自然の猛威を真正面から受け止めるしかない状況。
その体験が、「ここには、小屋が必要だ」という強烈な実感につながりました。

こうして、1925年(大正14年)、
白出のコルに建てられたのが、穂高岳山荘の前身となる「穂高小屋」です。

当初は、20人ほどが泊まれる小さな山小屋でした。


小さな小屋から、200人を迎える山荘へ

登山人口の増加とともに、穂高小屋は少しずつ大きくなっていきます。
そして名称も「穂高岳山荘」へと改められました。

重太郎の跡を継いだ二代目・今田英雄は、
単に「大きくする」のではなく、「この場所にふさわしい山荘」を追求しました。

その思想は、現在の穂高岳山荘の随所に息づいています。

特に象徴的なのが、
太陽
この三つに対するこだわりです。


人の手で拓かれた「石畳のテラス」

穂高岳山荘の前に広がる石畳のテラス。
初めて訪れた人の多くが、ここで驚きます。

あれほど険しい穂高の稜線の中に、まるで広場のような空間がある。
天気の良い日には、登山者が石のテーブルを囲み、談笑し、静かな時間を過ごしています。

しかし、この広さは「もともとあったもの」ではありません。

かつて白出のコルは、テントが一張張れるかどうか、という程度の狭さでした。
そこを、人の手で少しずつ削り、盛り、整え、
気の遠くなるような時間をかけて今の姿に仕上げていったのです。

何気なく腰を下ろすその石畳の下には、
人間の執念と、自然への敬意が積み重なっています。


朝と夕を迎えるための「太陽のロビー」

本館1階にある「太陽のロビー」。
この空間が最も美しくなるのは、日の出と日の入りの時間です。

朝、東の空が白み始めると、
やがて太陽の光が窓から差し込み、ロビー全体が金色に染まっていく。

夕方には、沈みゆく太陽の赤い光が差し込み、
同じ空間がまったく違う表情を見せます。

その光は、決して同じではありません。
季節、天候、雲の形によって、毎日違う。

英雄は、この「自然のドラマ」を味わうための場所として、
このロビーを設計したといいます。

標高3,000mだからこそ許される、贅沢な時間です。


命を支える水 ―「天命水」

稜線の山小屋にとって、水の確保は生命線です。

穂高岳山荘では、初代・重太郎の時代に、
涸沢岳の頂上直下の雪渓の底で水源が発見されました。

奇跡的ともいえるその水は、「天命水」と名付けられます。

二代目・英雄の代になると、
この水を37個のステンレスタンクに貯め、循環させる仕組みが整えられました。

雪解け水は約4℃と非常に冷たい。
それを太陽の力でゆっくり温め、
最終的に約14℃の水として山荘に供給する。

電気も、太陽光や風力を活用する。
ここでは、自然に逆らうのではなく、自然と折り合いをつける知恵が生きています。


山小屋という「文化の装置」

穂高岳山荘は、単なる宿泊施設ではありません。

登山道の維持・補修。
自然環境の保全。
遭難時の救助拠点。

日本初の国立公園のひとつ、中部山岳国立公園の歴史とともに、
山小屋は山と人をつなぐ役割を果たしてきました。

100年という時間は、
ただ建物が残ったというだけでなく、
「思想」と「使命」が受け継がれてきた証でもあります。


なぜ人は、山に惹かれるのか

レジャーや娯楽が多様化した現代。
それでも、登山という文化は消えていません。

むしろ、道具や情報が進化したことで、
山はより身近になったとも言えます。

しかし、穂高連峰は甘くありません。
自然の力は、人間の想像を軽々と超えてきます。

それでも人は、山に向かう。

自分の足で歩き、
遠く高い頂に立ち、
星空の下で眠る。

その時間の中で、人は「街の時間」では考えられないことを考えるのでしょう。


香川の部屋から、穂高を想う

私は穂高岳山荘にも行ったことはありません。

それでも、画面越しにその世界を眺めていると、
不思議と心が静かになります。

人の営みは小さく、
自然の時間は大きい。

それを思い出させてくれる場所が、
穂高岳山荘なのだと思います。

100年続いてきた理由は、
きっとそこにあるのでしょう。

◻︎◻︎出典:穂高山荘 公式サイト
     https://www.hotakadakesanso.com/

     BRAVO MAUNTAIN 穂高に登る人“必見”! 100年の歴史がある“天空の山小屋”穂高岳山荘のこだわりは「石」「太陽」「水」にあり【北アルプス】
     https://bravo-m.futabanet.jp/articles/-/123955

【本日の一曲】
Oneohtrix Point Never – D.I.S.

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