2025 09 19

「ない事」を証明することの難しさ ― 「悪魔の証明」とは?

先日、知人と話をしていると、こんな会話がありました。

Aさん:「この池にブラックバスは1匹もいないよ」
Bさん:「本当に? 絶対そう言える?」
Aさん:「だって最近釣ったことないもの」

一見なんてことのないやり取りですが、このやり取りには、とても奥深いテーマが隠れています。それが「ない事」を証明する、いわゆる「悪魔の証明」という考え方です。


「ある事」の証明と「ない事」の証明

「ある事」の証明はシンプルです。
ブラックバスがいるかどうか知りたければ、実際に釣ってみる。1匹でも釣れれば「いる」と証明できます。目撃情報や写真があれば、やはり「いる」ことが裏付けられます。

ところが「いない」ことを証明するのは、はるかに難しい。池の水を全部抜く、あるいは高性能のソナーを使うなど、考えられるあらゆる方法を駆使しなければなりません。それでも「もしかしたら見逃したかも」となる可能性は残ります。

つまり「ある事」の証明は一点突破ですが、「ない事」の証明は、あらゆる可能性を消し去らなければ成り立たないのです。


「悪魔の証明」とは?

法学や論理学でよく出てくる「悪魔の証明(devil’s proof)」という言葉は、まさにこの「ない事」の証明が極めて困難、あるいは不可能であるという考えを指します。

「悪魔が存在しないことを証明せよ」と言われたらどうでしょうか?
宇宙のすべてを調べつくして「どこにも悪魔がいなかった」と確認しなければなりません。現実的には不可能です。

このため、法律や裁判などでは「ある」と主張する側が証拠を提示することが原則となっています。「ないこと」を主張する側に証拠を求めると、負担があまりにも重くなり、公平ではないからです。


身近な例:コロナウイルスと「ない事」の証明

もっと身近な例があります。それがコロナウイルスなど目に見えない病原体です。

たとえばPCR検査。一般的なPCR検査の感度(=感染している人を調べた場合に陽性と出る確率)は70%前後と言われています。つまり、陰性判定が出たからといって、その人が「感染していない」とは言い切れません。実際には感染しているのに陰性と出る「偽陰性」の可能性があるからです。

逆に、陽性であればその人は「感染している」ことが確定します。ここにも「ある事」と「ない事」の決定的な違いが表れています。

「ある事」は一点の証拠で立証できますが、「ない事」は無限の検証が必要。検査で陰性が出ても、それが絶対的な保証にならないのは、まさに「ない事」を証明する難しさの典型例です。


日常生活の中の「悪魔の証明」

実は私たちの生活のあちこちに、この「ない事」の証明の難しさが潜んでいます。

  • 家の中に「虫がいない」と言い切るためには、全ての部屋、隅々まで確認する必要があります。
  • 中古住宅を購入する時に「欠陥がない」と証明することも、実は相当困難です。住宅診断(インスペクション)をしても、見えない部分までは完全に保証できません。
  • 不動産トラブルで「その事実はなかった」と主張する場合、実際に「ない」ことを立証するのは非常に大変です。

せとうち不動産でも、お客様から「この物件に本当に〇〇はないですか?」というご質問を受けることがあります。もちろん調査を尽くしますが、「絶対にない」とまでは断言できないケースもあります。こういう時は、調査結果と一緒に「可能性の説明」もきちんと行うようにしています。


まとめ

「ない事」を証明するのは、とても難しい。それは池のブラックバスから、コロナウイルス、不動産調査にいたるまで共通しています。「ある事」は一点で立証できるのに対し、「ない事」は無限の検証が必要。これが「悪魔の証明」と呼ばれるゆえんです。

この非対称性を知っておくと、日常生活や仕事での判断に役立ちます。ニュースや噂に流されにくくなり、不動産など大きな買い物でも、リスクと正しく向き合えるようになります。

「絶対にない」と言い切ることの危うさを理解しつつ、エビデンスや専門家の知見を活用して、より納得のいく選択をしていきたいものです。

【本日の一曲】
The Internet · Tyler, The Creator · Steve Lacy – Palace/Curse