京都で感じた「オーバーツーリズム」という現実 ― 香川県との対比から見えること

香川県に住んでいると、外国人観光客を目にする機会が増えたとはいえ、まだどこかのんびりとした印象が残っています。高松港や直島・豊島のアート施設、琴平などに外国人の姿があっても、混雑に疲れるほどではなく、「観光地が賑わっているな」くらいの感覚でした。
ところが、先日京都を訪れたとき、その印象は一変しました。街全体が外国人で埋め尽くされ、どこを歩いても行列…。これがニュースなどで聞いていた「オーバーツーリズム」というものか、と初めて実感しました。
京都での衝撃体験
京都に到着した瞬間から、耳に入る言語の多さに驚きました。英語、中国語、韓国語、スペイン語…。まるで海外に来たかのような感覚です。
人気観光地では歩道が人で埋まり、スマホを掲げて撮影する人があちこちに。地元の方が自転車を押しながら人混みを縫うようにして歩く姿も目立ちました。バス停には長蛇の列ができ、バスの中もすし詰め状態。生活圏としての京都と観光地としての京都が、明らかにせめぎ合っているのを目の当たりにしました。
香川県で感じる「にぎわい」とは全く違う、生活を圧迫するレベルの混雑―それが京都の現状でした。
オーバーツーリズムとは何か
オーバーツーリズムとは、観光客が過剰に集中することで地域住民の生活や観光資源そのものに悪影響を及ぼす状態を指します。具体的には、交通渋滞、ゴミ問題、宿泊施設の乱立、地元文化の希薄化などです。
京都や鎌倉、富士山周辺などが国内の典型例ですが、海外ではイタリアのベネチアやスペインのバルセロナも有名です。SNSやLCCの普及で一気に人が集まるようになり、小さな町や限られた資源に負担がかかっています。
香川県との違い
香川県にも直島や豊島など人気スポットがありますが、いまのところ「人で歩けない」ほどの混雑を感じることは少ないです。観光の規模が京都とは違うことに加え、アクセス面で一定のハードルがあることも理由でしょう。
しかし、直島や豊島でも団体ツアーが増えれば、一気にバランスが崩れる可能性があります。「いまは大丈夫だから」と安心していられる状況ではないと、京都を訪れて痛感しました。
京都で見たオーバーツーリズムの影響
- 公共交通の混雑:地元の人が通勤・通学に利用するバスが観光客でいっぱいになり、本来の生活機能が阻害されている。
- 生活コストの上昇:民泊や宿泊施設の乱立で家賃が上がり、住民が転出する例も。
- 文化・マナー問題:舞妓さんの無断撮影や、住宅地への立ち入りなどプライバシー侵害が目立つ。
これらは単なる「混雑」の問題にとどまらず、地域コミュニティの持続可能性を脅かす深刻な課題です。
持続可能な観光に向けた動き
京都市は宿泊税を導入し、その収益を観光インフラ整備に活用しています。観光客の分散化を目的に早朝や夜間観光を推奨したり、マナー啓発の多言語ポスターを作成したりと、さまざまな対策を試みています。
海外でも、ベネチアが大型クルーズ船の入港を禁止したり、入場料制度を検討するなど「制限と調整」の方向に舵を切っています。
香川県が今からできること
香川県はまだ「予防」の段階で対応が可能です。京都のように「問題が顕在化してから対策」ではなく、先手を打つことが大切です。たとえば:
- 観光客の分散化:瀬戸内の島々、西讃地域などへの導線を整える。
- マナー啓発:多言語での案内やルールづくりを早期に。
- 宿泊税・入場料の活用:観光資源保全やインフラ維持に充てる仕組みを整える。
こうした取り組みは「観光を減らすため」ではなく、「観光の質を高め、長く続けるため」のものです。
観光は地域の宝。だからこそ守る仕組みを
観光は地域経済を支え、文化や自然を世界に伝える力を持っています。しかし、その力が大きい分、負の側面も無視できません。京都で感じたオーバーツーリズムは、決して他人事ではなく、香川県にとっても未来の課題となり得るものです。
「いま大丈夫だから」ではなく、「いまから守る」発想を持つこと。香川県が持つ豊かな自然や文化、アートの魅力を長く保つためには、住民と観光客がともに快適に過ごせる仕組みづくりが欠かせません。
まとめ
- 香川県に住んでいると観光客の増加をさほど意識しないが、京都を訪れてオーバーツーリズムの現実を実感した。
- オーバーツーリズムは観光地の文化・生活・インフラに長期的な影響を及ぼす。
- 香川県も今から「分散化」「マナー啓発」「制度整備」など予防策を講じることが重要。
観光は地域の誇りを世界に伝える手段であると同時に、未来への責任でもあります。京都で得た経験を、香川県のこれからの観光政策や地域づくりに生かしていきたいものです。
【本日の一曲】
Nala Sinephro – Space 1.8