マンガの効用を理論的に考える

――言葉を超えた総合芸術としての可能性
はじめに
「マンガは子どものもの」「活字を読まないから知性が育たない」――。日本社会には長らく、マンガを軽んじる風潮がありました。けれども、実際にマンガという表現形式を分析してみると、そこには単なる娯楽を超えた奥深さがあります。漢字とカナの読み分けに関わる脳の働き、図像と言葉の二重構造、感覚情報の統合など。マンガは「脳に最も負荷を与える総合芸術」であり、人間の思考や文化理解に大きな役割を果たしているのです。
本稿では、脳科学的な視点と養老孟司先生の考えを手がかりに、マンガの効用を改めて理論的に考えてみたいと思います。
1. 漢字とカナ ― 脳の二重構造が示すもの
日本語には、表音文字であるカナと、表意文字である漢字があります。これは世界でも稀な二重構造であり、脳の働きに独特な影響を与えています。
脳障害の症例研究によれば、漢字が読めなくなる失読症と、カナが読めなくなる失読症は別の部位の損傷によって起こります。つまり、漢字とカナは脳の異なる領域で処理されているのです。
・カナを読むのは角回(かくかい)。ここが壊れると、日本人はカナが読めなくなる一方で、漢字は理解できる。
・逆に漢字を読む領域が壊れると、漢字は読めないがカナは読める。
外国人であれば、角回が損傷すれば「文字全般」が読めなくなるのに対し、日本人は「漢字だけ」「カナだけ」という選択的な失読が起こる。この事実は、私たち日本人の言語処理が二重のシステムに支えられていることを示しています。
そして、この二重性こそがマンガ理解の下地になっているのです。
2. 高橋留美子『うる星やつら』の言語遊戯
この脳の二重性を巧みに利用した例として、高橋留美子氏の『うる星やつら』を挙げたいと思います。
作中には「錯乱坊」という僧侶のキャラクターがいます。この漢字には「チェリー」というルビが振られている。つまり「錯乱坊=さくらんぼう=チェリー」という多重の意味構造をもつ名前になっているのです。さらに怒鳴る場面で「揚豚」と書かれ、「カツ」というルビが添えられる。意味と音、そして漢字の図像を組み合わせたジョークです。
ここには二重、三重の読み取りが仕込まれています。
・漢字の意味(錯乱・揚豚)
・ルビによる音声(チェリー・カツ)
・吹き出しという絵的文脈
マンガを読む行為とは、文字の論理的な理解に加え、図像や音声的イメージを統合する高度な認知活動なのです。
3. マンガは「感覚の総合芸術」
マンガを批判する人は「擬音語や擬態語が多いから幼稚だ」と言います。しかし実際には、そこにマンガの本質があります。
「ギャー」「ドカン」「ワー」。
これらは文字にすぎませんが、脳は音を伴ったイメージとして処理します。さらに絵と組み合わせることで、「目でなければわからない」「耳でなければわからない」感覚の世界を再現しているのです。
絵画的要素(ビジュアル)
音楽的要素(リズム、擬音)
言語的要素(セリフ、モノローグ)
――マンガはこのすべてを取り込む「総合芸術」として成立しているのです。
4. 養老孟司が語る「ロボット=人間のマンガ」
養老孟司先生は、ロボット研究を「人間のマンガ」と位置づけました。
なぜなら、ロボットは人間の仕組みを単純化して模倣した存在だからです。
人間は12兆の細胞から成り立つ驚異的に複雑な存在であり、部品を組み合わせただけで作れるものではない。しかし、あえて単純化して「人間らしく見えるもの」を作る。それは、人間を絵や記号で再現するマンガの手法と同じ構造を持っています。
しかも、ロボットを作る過程で初めて「人間がどうやって歩いているか」がわかったように、模倣は理解の入口にもなる。ここに、マンガのもう一つの効用が見えてきます。つまり「本物を理解するために、あえて単純化する」という方法論です。
5. 解剖図とマンガの共通点
養老先生は解剖学者として、図解と写真の違いを強調します。
解剖写真は情報が多すぎて、初心者には何が何だかわからない。血管、神経、組織が入り乱れ、かえって理解を妨げるのです。
一方、解剖図は余計なものを削ぎ落とし、本質的な構造だけを描き出す。だからこそ学問として成立する。
この「情報を整理し、見やすく再構成する」という性質は、まさにマンガそのものです。
6. マンガと若者文化
マンガが日本の若者に広く受け入れられるのは、単に「楽だから」だけではありません。脳にとって「漢字」「カナ」「絵」「音」を同時処理する行為は、とても自然な知的活動なのです。
ただしその一方で、「活字離れ」も生み出しました。文字だけの本は、情報量が限定され、感覚的な楽しさが少ない。人間はどうしても楽な方へ流れるため、マンガの方が支持されるのです。
結論 ― マンガは「思考の道具」である
マンガは娯楽であると同時に、学問にも匹敵する「思考の道具」だといえます。
・漢字とカナを使い分ける脳の仕組みを刺激する。
・余計な情報を削ぎ落とし、理解を助ける。
・感覚と言語を統合し、多層的な意味を提示する。
・人間理解や生命倫理にまで接続できる。
この効用を考えれば、「大人が読むものではない」と切り捨てる態度がいかに浅薄であるかがわかるでしょう。むしろマンガこそ、人間が自らを理解するために作り上げた高度な文化装置なのです。
【本日の一曲】
Malcolm McLaren · The World’s Famous Supreme Team – Hobo Scratch