渋谷でよくいた時は渋谷系を聴かなかったし、インドにいた時はカレーをほとんど食べなかった

「経験」と「情報」のあいだにあるもの
これって、私が実際に暮らしていて感じた、ひとつのちょっとした事実です。
でも、振り返ってみるとすごく象徴的な体験だと思うんです。
渋谷に行けば渋谷系の音楽を聴いているだろう、とか、インドに住んでいたら毎日カレーばかり食べているだろう、とか。外から見ればそう思われがちです。でも実際の生活は、そういう分かりやすいイメージとはかなり違っていました。
渋谷に通っていたときは、わざわざ「渋谷っぽさ」を意識することもなく、友達と食べる定食やお買い物の方が日常でした。インドにいたときも、もちろんカレーは身近にあったけれど、毎日食べたいわけでもなく、むしろ「もう少し違う味が欲しいな」と思うことが多かったんです。
(今考えると不思議ですが、チャーハンばっかり食べてました)
そのとき気づいたのは、「経験って、案外イメージと全然違うものになるんだ」ということでした。
情報として知ることと、実際に暮らすこと
インターネットや本で調べれば、その土地の文化や食べ物、音楽などの情報はすぐに手に入ります。でも、実際にそこで暮らすと「知っていたこと」と「体験したこと」のあいだにギャップが生まれる。
これは本当に大きな違いです。情報は整っていて、誰が読んでも同じ答えになります。(その情報を作った人の主観が含まれます)
でも経験は雑多で、矛盾していて、同じ場所でいても人によってまったく違う。渋谷で「渋谷系」を聴かなかった私の時間も、インドで「カレーに飽きた私の日常」も、間違いなくその場でしか得られない経験でした。
この違いこそが、ただ知識を持つのと、自分の身体で生きるのとのあいだの厚みなんだと思います。
大事件の裏で続いていた日常
このことは、大きな出来事を経験したときにも強く感じました。
東日本大震災のとき、NYで9.11が起きたとき、阪神大震災のとき。
大事件が起きるとニュースや教科書の中では「歴史的な一日」として語られます。でも実際にその時間を過ごした人たちは、もちろん衝撃を受けつつも、次の日もご飯を食べて、学校や仕事に行って、生活を続けていた。
私自身、震災のときに「世界がひっくり返った」というよりも、「大変なことが起きたのだけど、それでも私たちの日常は淡々と進んでいく」という感覚を強く覚えています。その感覚は、ニュースや記録では決して伝わらないものです。経験した人だけが分かる、あの奇妙な「淡々とした日常」と「大事件」の同居。
外からの情報ではどうしても「特別な日」に見えるけれど、当事者にとっては「日常が変わりつつも続いていた時間」だったんです。
「その場にいた」からこそ分かること
旅行や暮らしでも同じです。
観光で行けば「その土地らしさ」を求めるけれど、実際に住んでみるとそこは生活の場になる。東京タワーを毎日見て通勤していたけど、一度も展望台に登ったことがない、なんていうのと同じです。
私はインドで暮らしたときにそれを痛感しました。カレーが名物だから毎日食べていると思われるけど、実際はそうじゃない。むしろ、そこに住んでこそ分かる「飽き」や「違う食文化への欲求」があったりする。それは、実際に体験しなければ絶対に分からなかったことです。
「その場にいた」という経験が、どんな情報よりも深い実感を残してくれる。私はそれを自分の人生で何度も確かめてきました。
情報があふれる時代だからこそ
今はSNSや検索ですぐに世界中の出来事が手に入ります。どこにいても「なんとなく知っている」感覚にはなれる。でも、やっぱり「実際にそこにいる」ことの重みは全然違う。
画面の向こうでは匂いも温度もないし、人の表情も空気感も伝わらない。だから、いくら情報が便利になっても、「経験すること」に勝るものはありません。むしろ情報があふれそこで行動をやめてしまう人が多い時代だからこそ、体験の価値はさらに高まっていると私は思います。
私の中に残る「自分だけの物語」
結局のところ、情報は誰にでも同じように届くけれど、経験は私だけのものです。渋谷で過ごした日々、インドでの暮らし、震災のときに自分がどこで何をしていたか――それは私だけが語れる物語です。
そして、その物語があるからこそ、ニュースで流れる出来事や教科書の歴史に、自分なりの重みや理解を与えることができる。
「渋谷系は聴かなかった」「カレーはほとんど食べなかった」――その一見どうでもいいような事実の裏側には、私自身の体験の厚みが詰まっている。それが、単なる情報と経験の決定的な違いなんだと思います。
おわりに
私はこの歳になって、「経験は案外イメージから外れていくものだ」と強く感じています。
教科書やネットで得た情報は便利だけど、そこで暮らすと全然違う景色が見える。大事件に直面しても、意外と日常は続いていく。
矛盾に見えるかもしれないけれど、その矛盾のなかにこそ、リアルな人生の厚みがある。世界は複雑で多面的なのです。
それを身をもって感じてきたからこそ、私はこれからもできる限り「経験」を選んでいきたいと思っています。
【本日の一曲】
ゆらゆら帝国 – 3×3×3