2026 07 09

村上春樹さんの新作が出たので、僕と読書の話を少し

村上春樹さんの新作、出ましたね。
今回の作品は長編といっても比較的短めらしく、SNSを見ていると「もう読み終えた」という声もちらほら見かけます。読書のスピードが遅めの私からすると、毎回その早さに驚かされます。

何を隠そう、私、20歳くらいになるまで本をほとんど読んだことがありませんでした。
もちろん新聞もほぼ読まず。今思うと、よくそれでここまで来たなと思うのですが、当時はそれで特に困っている感覚もなかったんですよね。


そもそも本を読まない人間でした

なんで本を読まなかったのか。
単純に興味が持てなかった、というのが一番大きいと思います。

もともと理系寄りの人間で、数学や理科みたいに「問いがあって、それに答えていく」ものは好きでした。答えがはっきりしているもの、正解に近づいていく感覚があるものは楽しい。でも、本を読んで覚えるとか、文章から何かを受け取るみたいなことは、どうにも苦手でした。

ロックや音楽系のことは本を読んで調べたりしていたので、まったく文字が嫌いだったわけではないんです。ただ、小説やエッセイのような“答えがひとつじゃない世界”に、当時はうまく入っていけませんでした。漫画も、ものすごく熱心に読むタイプではありませんでした。

今思えば、その頃の自分は「ひとつの物事には、ひとつの答えがある」とどこかで思っていたのかもしれません。


大学生の頃、古本屋で少しだけ世界が広がった

そんな私が、本の面白さに少し気づいたのは大学生の頃でした。
たまたま古本屋さんで立ち読みをしていたときに、ふと思ったんです。

**「文章って、人によってこんなに表現が違うんだな」**と。

同じ景色を見ても、同じ出来事を経験しても、人によって切り取り方が違う。言葉の選び方も、温度感も、見ている角度も違う。ひとつの出来事を、こんなにも自由に表現できるんだということに、そのとき初めてちゃんと気づきました。

今思えば至極当たり前のことなんですが、それまでの私は、その当たり前を全然わかっていなかったんですよね。

問いに対して一つの答えを探していた人間が、「同じ物事でも人によっていろんな表現ができる」と知った瞬間でした。


それでも、読書はなかなか続かなかった

ただ、そこから急に本好きになったかというと、そうでもありませんでした。
たまに本を読むことはあっても、頻度は低いし、最後まで読み切れないことも多い。途中で止まってしまったり、気づいたら別のことをしていたり。読みたい気持ちはあるのに、なぜか最後までいけない。そんな感じでした。

せっかく買った本が、本棚の「途中まで読んだ本コーナー」に積み上がっていく。読書好きっぽい雰囲気だけは出るけれど、実態はあまり伴っていない。そんな時期が長かったです。


その問題を解決したのは「お風呂×Kindle」でした

そんな私の読書スタイルを変えたのが、コロナ前くらいから始めた**「お風呂でKindle読書」**でした。

これが、個人的にはかなり大きかったです。

iPadではなく、あえて本を読むことしかできないKindle
そして場所は、お風呂。ほかにやることがあまりない環境です。もちろんシャンプーやら体を洗うやらはありますが、スマホを触ってダラダラすることもないし、テレビもない。ある意味、読書に向いた“閉じた空間”なんですよね。

これが驚くほど自分に合いました。
たまに本を読んでも最後までなかなか読めなかった人間が、厚めの本でも読み切れるようになったのです。Kindleなので実際には厚みは変わりませんが、気持ち的にはかなり違います。ページの残り具合が見えすぎないのも、私には合っていたのかもしれません。

「読書の習慣が続かない」という人は、内容よりも先に、どこで・どう読むかを見直した方がいいのかもしれません。私にとっては、それがお風呂でありKindleでした。


村上春樹さんの良さが、ようやくわかってきた

そんな読書習慣のおかげで、村上春樹さんの良さにも少しずつ気づけるようになりました。
長編もまあまあ読み終えるようになって、今は『1Q84』を読んでいます。

昔の自分なら、村上春樹作品はたぶん途中で止まっていたと思います。
でも今は、「何が起こるか」だけじゃなくて、「どう描かれているか」「どういう空気で進んでいくか」を楽しめるようになってきました。

それはたぶん、年齢を重ねたこともあるし、少しだけ“文章を読む体力”がついたからでもあるんでしょうね。


読むのは小説とエッセイ。ハウツー本はほとんど読まない

ちなみに、私が読む本の多くは小説かエッセイです。
いわゆるハウツー本や情報を取りにいくための本は、ほとんど読みません。

その手のものは、ネットの方が圧倒的に向いていると思っています。情報の更新も早いし、必要なところだけ拾いやすい。家づくりの情報も、不動産の制度も、今はネットの方が実用的な場面が多いです。

一方で、小説やエッセイはネットとは別の価値がある。
情報を得るためではなく、ものの見方や感じ方に触れるためのものとして読んでいます。


文章表現は、無限に切り取れるのが面白い

本を読んでいて面白いなと思うのは、文章って結局、「世界の中で起こった現象や、その有様を、自分はこう表現したよ、こう切り抜いたよ」と差し出す行為なんだな、ということです。

同じ雨でも、「冷たい雨」と書く人もいれば、「街の輪郭をにじませる雨」と書く人もいる。
同じ孤独でも、「静かな時間」と書く人もいれば、「ぽっかり空いた穴」と書く人もいる。

そう考えると、表現って本当に無限なんですよね。
正解がひとつじゃないからこそ面白いし、その人の見ている世界がにじみ出る。大学生の頃に古本屋で感じた「人によっていろんな表現ができるんだな」という驚きは、今も変わらず読書の楽しさの中心にあります。


大人になってから漫画も面白さがわかるようになった

不思議なもので、本を読むようになってからは漫画も前より楽しめるようになりました。
子どもの頃は流していた表情や間、コマ割りの意味が、少しずつわかるようになってきた気がします。

たぶんこれも、小説やエッセイを読むことで、「表現っていろんな方法があるんだ」と思えるようになったからかもしれません。文字だけじゃなく、絵や構図、沈黙や余白も全部表現なんですよね。


本を読むことは、別の人の視点を借りることかもしれない

昔の私は、本を読まない人でした。
でも今は、読書って「知識を増やす」だけじゃなくて、自分ひとりでは見えない景色を、誰かの目を通して見せてもらうことなんじゃないかと思っています。

村上春樹さんの新作が出た、という話からだいぶ脱線しましたが、そんなことを考えながら、今夜もたぶんお風呂でKindleを開くんだろうなと思います。

次は『1Q84』をどこまで進められるか。
そして新作に手を伸ばすのはいつになるのか。
そんなことを楽しみにしながら、ぼちぼち読書を続けていこうと思います。


【本日の一曲】
Cyndi Lauper – She Bop

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